ミリシタでPRを一年継続した感想、終わりなき競技という葛藤からどう抜け出すか
正確に言うとPR以上ですね。
今回は普通に感想を書き連ねるのではなく、PR継続を通して改めて感じた、
「生きていく上で絶対に避けられない葛藤」みたいなものの1つを文章化して、
そこから少しでも抜け出す答えを考えたいと思います。
それゆえ、悲観的な内容になりすぎないように気を付けます。
要は、詐欺師の宗教家みたいな話をします。
とは言っても、せっかく1年間PRを継続したので、結果と感想を簡単に。
項目別の感想
・餞の鳥(TPR)
無限労働編(労働に駆り出されてアホみたいに働く期間)の前の最後のイベントだった。
それに行きたくないって感想の方がデカかった。
・ABSOLUTE RUN!!!(TPR)
初の1桁。これでPR継続終了、半引退するつもりで挑んだ。
多分最初で最後の1桁ランだけど、いい経験にはなった。
フェスと合わせて金を20万ぐらい溶かした記憶。
・4周年イベント(可憐5位)
ガチで100傑志望だったけど、金掛けるイベランは最後(にするつもり)で、結局走った。
全体的に眠かった記憶しかない。
・全体として
元気カンストしてれば、PR継続ぐらいなら金はかからん。
というか、普通に石増え続ける。
・スコアタ
途中からは安定してPM取れるようになって満足。
1回ぐらいTPM取ってみたかったね。
ミリシタメインの話終わり。
突然ですが、
「競技になった瞬間に物事がつまらなくなる」
という話をします。
おそらく、一番身近な例は勉強。
勉強の真の目的は、「好きな事を突き詰め、そこから新たな発見がなされ、ひいては技術革新などに繋がり、人間の生活が豊かになる」こと。
(人によって様々な意見があると思うけど)
しかし、実情は全く異なっていて、点数を競う競技と化している。
実際にこの競技で高い結果を出した奴が社会的に高い地位に付き、高い収入を得るのが世の中の一般的な成功パターンとなっている。
そして、たとえ好きな事の追求であっても、発見の速度や金銭的価値などで、結局は競技化されてしまう。
何が言いたいかというと、この世界で生きている以上、競技からは逃れられないということ。
普段からこんな頭のおかしいことばかり考えてたけど、
ミリシタにも言えることであり、PRを継続してて改めて思った。
初めてPRを取ったのは『Angelic Parade♪』で、担当上位のイベントということもあり、かなり嬉しかったのを覚えている。
しかし、最近はとりあえずPRを継続し、担当アイドルがイベント報酬になるとPRやTPRを取るのが当然という思考になっていた。
イベントが終わるごとに感じてた燃え尽きた感覚(満足感と虚無感が合わさった謎の感覚)が徐々に薄まっていき、ここ数か月ぐらいはゼロに近い。
PRを継続していることが、ただ2500位という数字を超え続ける作業に代わっていた。
気付けば、楽しかったミリシタが、競技に踊らされている状態になっていたわけである。
競技化されることによって物事がつまらなくなり、追求することが虚しくなる。
ここから抜け出す方法の1つは、主観的な価値を高めていくこと。
「自分が楽しいと思うか」は唯一無二の、競技が不可侵な領域である。
そうなると、競技性ゆえの結果を否定して、
「学歴なんて意味ない!」
「ソシャゲに時間と金をかけて馬鹿らしい!」
とか言い出す奴が出てくるが、それは少し間違っている。
主観が大事だから「自分を信じて突き進め!」みたいな陳腐なことが言いたいわけではない。
重要なことは、
主観的な価値の中に客観的な競技の結果が入り込んできてもいい
ということ。
これを理解していないと、競技が本当にただ虚しいだけの争いと化してしまう。
(俺のここ数か月のイベランは完全にこれだった)
自分の人生なのに、自己不在な人生ほど虚しいものはない。
これを突き詰めていくと「自由とは何か」みたいなものに1つの答えが出せるんだけど、それで記事1個書けそうなので、それはまた別のお話。
この世界で生きる以上、競技からは逃れられない。
自分の思うように生きればいい、とか言うのは綺麗事でしかなくて、
他者の目線というのは、生きる上で必ず関わってくる。
だからこそ、
物事の競技性に振り回される人生でなく、
自ら競技をしているというメタ認知を持った人生でありたい。
(要は、ただのオタクがミリシタでPRを1年継続しただけ)