Intellectual Dumbbell

勝算がないと動けないオタクの怪文書

頭を良くする方法

去年末に1年の振り返りを書いてから一瞬で半年経過してました。

気付いた時には120年ぐらい経ってそうです。

 

そんなオタクの近況はどうでもいいので、今回の本題に入りましょう。

 

(↑今回のサムネ。霧子になら「Fラン」って煽られてもいいな?)

 

頭を良くするための方法・生活習慣として、

「思考しまくること」

が回答です(結構本気)。

単に「頭がいい」と言っても2通りに大別出来ると思っていて、

①物事に対して一定の合理的な回答を用意する能力が高い、速度が速い

②試験など(いわゆるペーパーテスト系)でいい結果を出せる

の2種の内、ここでは①を指しているつもりです。

世間的には②で勉強が出来るイメージが強いかもしれませんが、そんなもん普通にやってれば勝手に出来るようになるので、考えるまでもない。

というのは冗談、しかし半分本気ではあるので、②への関わりについても後半の方でしっかり解説します。

 

<使い方>

「能動的に活動している時間以外を思考で埋める」という方法。

普通に生活していれば待ち時間や移動時間など、暇になる時間が確実に発生している。これを暇な時間にせず、何か思考するということが大事。

最初は無意識で出来ていたルーティンなどが思考の時間に替えやすい。

俺は風呂の時間とか、家から駅までの徒歩での移動時間とかをよく活用している気がする。車の運転中はやらん方がいい。

 

<具体例>

・基礎編

最初は「答えのあるもの」に対して回答を考え出し、答え合わせする。

名称の語源とか、単純に「なぜ?」と思うことなど、思考に使える物事は日常にいくらでも潜んでいる。

試験勉強でも、公式の証明や歴史を追って思い出すなど、「机に向かって参考書を開く」以外に出来ることがいくらでもある。

周囲の情報から考えて回答⇒真実の確認を繰り返すこと。

 

・応用編

基礎編に対して、明確なものが定まっていないことに対して回答を作成する。

一例として、「伊吹翼には成長・成長描画が無い」という騒動?への回答を思い出したので適当に書いておく。

翼は天才・才能型と仮定する。これはゲッサン版『アイドルマスター ミリオンライブ!』で、未来視点での静香との対比に顕著に表れている。ここでの天才の定義としては「努力せずして努力する者」とする(一般的に天才は「先天的な才能だけで結果を出す者」とされがちだが、ここでは異なる内容で定義しておく。これ自体も思考による回答の一部である)。天才型の特徴としては、努力して成長する過程を描写するのが非常に困難である。なぜなら本人は楽しんでいるだけだからである(翼で言うと、レッスンを楽しんで、飽きたらさっさと帰る、みたいな点)。

これは天才故に成長描写が無いだけで、結果としては努力・成長はしている(はず)とする回答。当然、別の視点から見てしっかり成長しているし、その描写もあるという回答があってもおかしくない(実際にそういう意見の投稿も多数あった)。

先にも書いたが、明確な正解が無いことへの思考なので、ある程度の合理性を保った上で周囲と共有できるレベルに仕上げておくことが大事。

(ただ、アイマスでこれをやると「いや、それ違うんで。間違った解釈するの辞めてください。」みたいなのが飛んでくるらしい!これを「同担拒否」と呼んでいるよ!!キモいね!!)

 

<効果>

「頭がいい」という評価は客観的であり、必ず他者からの視点が入ることを考慮した上での話。

・試験関連

机に向かっている時間以外も勉強に充てれるため、当然ながら知識量に差を付けれる。

 

・周囲との会話において

1点目として、普段から様々な事について一定の回答を考えておくことで、同様の疑問・議題で瞬時に合理的な意見を述べることができる。

2点目として、もし初見であっても、普段からの思考訓練をしっかり行っていれば、他者に差を付けることが出来る。つまり、より合理的な回答をより迅速に用意できる可能性が高まる。

(個人的には面接やプレゼンとかの場面で役に立った)

 

 

<番外編>

上の方で宣言してしまったので、勉強に関する思考との関わりを記す。

実際にはこっちの方が出くわす場面が多いし、世間的な需要も高いと思われる。人間である以上、生きてる限りは一生勉強なのでね。

「そもそも勉強自体が頭使う行為だし、思考そのものやん?」と思うかもしれないが、そんな安易な話には留まらない。

 

まず、勉強が出来ない奴の9割は「圧倒的に量が足りてない、そもそもやってない」で理由付けできる。方法論を求める以前にとにかく量をこなすべきであることは勉強でもイベランにおいても同じであると散々このブログ内で発言してきているので、それが大前提としてあることは忘れないでもらいたい。

その上で大事なことは「勉強自体に対して思考があるか」という点で、これの確認として全ての行動に自分なりの理由付けが出来る必要がある。

広義には「学校(or塾など)の授業を聞くことの必要性」「その参考書を採択した理由」、狭義には「なぜその問題でその解法を採用したのか、その語法を用いたのか」などの説明ができないならば、それは思考していないのと変わらない。

(琴葉を見習おう)

 

いわゆる「筋道の通った学習」が出来ていない状態である。

これは当然ながら勉強以外、というか仕事・芸術・運動だろうが全てに言えることで、成長までの筋道を考えずに取り組むと圧倒的に労力や時間が無駄になる。

(おそらくこの逆が、少ない努力で結果を出す奴の正体です)

 

しかし再三強調しますが、どれだけ優れた方法を採択できたとしても、それに圧倒的な量が伴って初めて結果が出ることを言っておきます。

 

 

<まとめ>

もう2000字超えて疲れたのでまとめに入る。

とにかく我々には思考が足りてない。

それは、本来ならば頭を使うはずの勉強においても当てはまる。

だから「思考を止めるな、思考しまくれ」ってことです。

そうすることで、周囲との差を付けることが出来ます。

(要はこういうことです。)

 

 

<Q&A>

Q:そんなに頭を使ったら疲れませんか?

A:わかる。最近は身体も脳も老化してきて、俺は何も考えてない。

 

Q:感情が無くて思考ばかりの人生、楽しいんですか?

A:知るか!